「話が通じない」はまだ人類が癒やされきっていない証拠
話が通じないのは問題ではなく、
通じていないと気づかない事が問題の証左だと思う。
世代間、国同士、個人同士、、あらゆる関係に見られる事象。
そもそも通じていない事を理解「したくない」心理があるのでは?
人が本当に安心感や安らぎ、心の余裕を持ち、絶対に動じない事を信念にすれば
必ず話ができる、というのが私の見解。
ちなみに、信念には裏付けは要りません。
裏付けがなければ信じられないのは最初から信じていないのと同じ。
信じる対象はもちろん一点(時空間的に)。
最近目にした記事の「なぜ分からないのだろう。」→もまさに、これ。
ちょうど同じような視点で書かれているAIを通して現代の子供を分析した本。
「数学の問題は、半分以上国語の問題」
私も子供の頃言われて反発したいような嫌な気持ちになりましたが
余裕を持ってみればまさにそのとおり。
そして、その国語の意味が組み立てられないことに著者の新井さんは警鐘を鳴らし、
様々な活動を実践されています。
多分それが新しい方の書籍に書いてある(と思う。未読。)
こちらも面白そう!